愛情

指導者にとって必要なことは大きく2つあると思います。

1つは当たり前ですが、空手の指導者であるので「空手の技術」的な部分の指導です。これはほぼ100%に近い指導者が後輩に教えていると思います。

しかし、私はこの1つ目も大切ですが、次に言う2つ目も1つ目と同等にあるいはそれ以上に大切なことと捉えています。それは「愛情」です。

私は常々「愛情」とは「ラブラブ」とかではなく「自己犠牲の痛み」を伴うものと考えています。先日、あるリーダーからこんな話を聞きました。「まだ入門して間もない子が、空手を辞めると言っています。組手で自分がバンバン攻撃するのは好きなようですが、自分が攻撃されるのは嫌なようです」と。今、世の中を見渡すと、自分の欲望を満たすためであれば、相手のことを全く考えないで起きてしまっている事件がいかに多いことか、、、。相手の痛みを分からず自分が攻撃することだけに快感を覚えてしまう身勝手な行動は厳格に注意し、そのような態度を直さなければいけません。指導者はたとえ嫌われようとも武道の道を外れてる者に対して「何のためにあなたは武道を習っているのか?」という根本部分を相手が納得するまでとことん話合わなくてはいけないと私は思います。私が門下生にキツく意見を言う時には大きな痛みを味わい、気分がとても落ち込みます。しかし、その子のことを真剣に思い、愛情を持って接しているならばこの痛みは指導者として避けてはいけない痛みだと私は考えます。空手の技術的な指導はさほど難しくありません。これは地道に指導し日々練習を積んでいけば門下生の「体」の質を上げていくことができます。しかし、愛情を持って接することは本当に難しいことです。これは相手の「心」の質を上げていくことなのでそれには指導者側が痛みを感じながらも、その痛みを相手も受け取り「心から感謝」の気持ちが相手に芽生えないと「愛情を持った指導」というレベルには達していないと私は考えます。多様性を受け入れる社会であれ!とそこかしこで言われていますが、それを好き勝手、自己中心的な物の考え方も受け入れろ!!と捉えている人が少しずつ増えてきている気がします。「人を傷つける自分本位な考え方」は「少数意見の尊重」とか「表現の自由」の保護にあたらないと私は思いますが、間違っていますでしょうか?

文化人、知識人と言われている人の中には、どんな考え方も尊重すべきと唱えている人がいますが、彼らの心は果たして健全なのか?と心配になってしまいます。マスメディアほど強大な影響力は無くても空手の「指導者」は少なくとも自分の門下生には強大な影響力を持っています。相手の痛みを知り、相手への感謝の念を忘れない門下生を育てるにはやはり指導者の愛情が何よりも大切だと私は考えます。

もうすぐ全国大会が開催されます。大会だからと言って相手に勝つことばかりに意識がいかないよう、できれば対戦相手に「愛情」を持って接する選手が1人でも多くいて欲しいです。

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